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        <過去記事>
2025年4月25日 雑誌『月間東海財界5月号』に白井執筆のi以下の記事が掲載されました。

 
物価偽装8000時間 番外編 

 「いのちのとりで裁判」に最高裁判決

 7月までに 土俵際の国・厚労省

 我々が取り組んできた「いのちのとりで裁判」は、行政側の「負け」が続いています。そして、今年7月までに最高裁判決が出る見通しになりました。2013年生活扶助基準改定行政処分の取り消しを求めた裁判です。行政側が最高裁で敗訴すれば、生存権を大幅に縮小した重要な政策決定が取り消されます。私が8000時間ほどかけて研究してきた「物価偽装」という重大な統計不正が司法によって最終的に断罪されるわけです。後処理が困難を極めることが予想される上、厚生労働省や自民党の責任を問う声も高まるでしょう。重要な政策づくりの根幹プロセスで統計不正が実行された極めて異常な事案。現政権は真摯に謝罪して事実経過を綿密に検証するとともに同様の統計不正を防ぐ法制度づくりも急がねばなりません。

厚労省の秘密工作

問題の基準改定案を作ったのは厚労省です。改定案は「物価偽装」「2分の1処理」という統計不正の産物でした。私は、物価偽装の研究者として裁判所向けの意見書を執筆。3地裁の法廷では専門家証人として証言。また、各地の裁判所で判決が出るたびに現地に赴いて判決内容を精査してきました。行政訴訟では、裁判官は行政側に有利なジャッジをしがちです。ところが、我々の裁判では途中から様相が完全に変わりました。

原告側から見ると、地裁と高裁を合わせたこれまでの判決の勝敗は2515敗です。地裁は1911敗で、高裁は6勝4敗です。地裁判決は、当初9件は1勝8敗と我々側にとって悲惨でした。ところが、その後の21件は18勝3敗と行政側を圧倒。直近は7連勝中です。高裁判決も当初4件は1勝3敗と不振でしたが、今年に入ってからは5勝1敗とやはり怒涛の勝ちっぷりです。

2013年基準改定で厚労省は、生活保護世帯の世帯類型ごとの生活扶助基準額の「多すぎる、少なすぎる」を是正しようとする「ゆがみ調整」と実質的な物価スライドである「デフレ調整」を実施しました。ゆがみ調整の調整の程度を厚労省が勝手に一律半分にしたのが「2分の1処理」。実施したこと自体を厚労省が隠した「完全な秘密工作」でした。物価スライドの指標の消費者物価指数の下落率を意図的に大幅に膨らませたのが「物価偽装」です。普段はまったく使われない計算方式を使うなど、「物価指数に詳しい人には狙いが見え見え」であることに驚きます。

 「裁量権の濫用」認めた勝訴判決

地裁や高裁での原告側勝訴判決のほとんどは、物価偽装を実質的に認めた内容です。行政処分の取り消し請求訴訟は、行政が裁量権の逸脱や濫用をしたと裁判官が判断すれば、取り消しが認められます。裁判官らは、厚労省の物価指数計算について「統計等の客観的な数値等との合理的関連性」や「専門的知見との整合性」が欠如しているとして、裁量権の逸脱・濫用を認めました。厚労省の物価指数計算に明確に「駄目出し」をしています。長い裁判闘争の中で、物価偽装についての我々の主張に裁判官らは理解を深めてくれたました。それが「行政敗訴ラッシュ」の最大要因だと思います。

行政側に追い打ちをかけたのが最高裁です。大阪・愛知の上告審について弁論期日を5月27日としました。弁論期日から判決までの期間は1カ月ほどのことが多いので、「最高裁判決が7月までに出る可能性が高い」と言えるのです。地裁・高裁の勝敗から普通に考えれば、行政側敗訴の可能性が大きいです。

生活保護バッシングを生んだ自民の罪深さ

 「とんでもない行政運営をしでかしたから行政側が裁判で負け続けている」。単純にこう言えばOKです。とりわけ許せないのは、厚労省が統計不正に手を染めた原因が「政治の影響」と推認されているところです。自民党は野党だった2012年に「生活保護予算を大幅に圧縮する」という政策目標を打ち出しました。その際に国会議員らが「生活保護バッシング」の空気まで醸成させてしまいました。実に罪深い行為でしょう。

「生活保護基準の原則1割カット」を政権公約に盛り込んだ201212月の衆院選で自民党は圧勝。安倍政権に復帰して約1カ月後に慌ただしく公表されたのが生活扶助基準の2013年改定案だったのです。物価偽装、2分の1処理ともに政権交代の後に出てきた話。ゆがみ調整の検討に加わっていた社会保障審議会生活保護基準部会もノータッチ。厚労省の暴走ぶりに驚きます。「生活保護予算をできるだけ多く削れ」といった自民党の圧力が猛烈に強かったのではないか。私は、そのように推測しています。

石破政権がこれから何をしなければならないかは、冷静に考えれば明確でしょう。最高裁判決が出る前に裁判続行をあきらめるのが本当は正しい。しかし、そうなる気配はありません。行政敗訴判決が出た後も「当然の対応策」に踏み出していく流れにはなかなかならないでしょう。だから、裁判支援団体や野党国会議員はそうした流れになるように全力で働きかけるべきです。現政権は「とんでもない行政運営をしでかしたときの定跡手順」に従って手を打っていくのが本筋です。当たり前の当然の対応策です。

まず、真摯に謝罪する。続いて、事実経過を綿密に検証する。それと平行して、適切な後処理策を策定する。そして、「似たタイプのとんでもない行政運営」が起きにくくするための法制度づくりを進める。「公害」「薬害」「障害者への不妊手術の強制」などの原因になった「とんでもない行政運営」がされたときの前例を参考にすればいいと思います。

知ってほしい「桐生市事件」

 素直に謝罪するなどの「当然の対応策」に踏み出した直近の絶好の参考事例が「桐生市事件」です。

群馬県桐生市の「生活保護業務の適正化に関する第三者委員会」は今年3月28日、荒木恵司市長に報告書を提出しました。報告書は、桐生市の生活保護行政について「組織的な生活保護申請権の侵害が疑われる」などと断罪。▽生活保護利用者に生活扶助費を1日千円ずつ分割支給▽生活扶助費の満額を払わずに余った金額を金庫に保管▽生活保護利用者の親族が提出する扶養届の書類を捏造―といった桐生市の酷い生活保護制度運用事例を挙げ、「生活保護法違反や憲法25条の趣旨に合わない事例があった」といった趣旨の指摘をしました。

荒木恵司市長は「給与の3割を6カ月カット」などの処分を呑み、記者会見では生活保護利用者などに対して「耐え難い苦痛や不利益を与えてしまった」と述べ、「心よりお詫び申し上げます。誠に申し訳ございませんでした」と謝罪しました。

桐生市は、生活保護予算を大幅に圧縮しようという方針を徹底。この10年ほどで市内の生活保護利用者は約半分に減っていました。憲法25条の生存権を軽んじて生活保護の利用者らを痛みつけたという点では、厚労省の物価偽装の事案と共通です。

この桐生市の事案については、第三者委員会の報告書が出たのと同じ3月28日に発売された単行本「桐生市事件 生活保護が歪められた街で」(地平社)で克明に明らかにされています。著者は、小林美穂子さんと小松田健一さん。小林さんは生活困窮者の支援活動に奔走している社会活動家。小松田さんは東京新聞事業局出版部に勤務。昨年8月までは、東京新聞の前橋支局長でした。2人の調査力、文筆力に支えられて、この本は「読みやすい調査報告書」になっています。

いのちのとりで裁判では、3月27日の東京控訴審の東京高裁判決、翌28日の埼玉控訴審の東京高裁判決でともに原告側が勝訴。行政側が土俵際に追い詰められました。生活保護制度の利用拡大で生活困窮者の救済を進めていこうとする我々のような人間には、3月28日は明るい展望がはっきり見えた記念すべき日になりました。

最高裁判決が出たら…

原告側支援組織の「いのちのとりで裁判全国アクション」は4月3日、参議院議員会館で大規模な決起集会を開きました。この裁判についてのマスコミ報道はいまだに活発ではありませんが、この集会にはマスコミ各社の記者やフリーライターが多数参加。野党国会議員もマイクを次々に持って連帯の挨拶をしました。マスコミや国会議員の間でも「物価偽装・いのちのとりで裁判問題」への関心が急速に高まってきたことが分かりました。

 記者会見では、記者側から「最高裁で行政側が負けたらどうなるのか」といった質問が出ました。ここが記者側の一番聞きたいところだったようです。回答はすっきりしませんでした。社会保障の重要な基準が確定判決で取り消された事例はないので、今後の展開がどうにも予測しづらいのです。

行政処分の取り消し請求訴訟だから、2013年に改定された生活扶助基準は、原告については取り消される理屈です。しかし、原告だけについて基準が取り消されるのも妙な話。当時の生活保護利用者全員について、基準が取り消されるのが本筋のようにも思えます。そうなったら、どう対処するのか。2012年当時の基準に戻すのか、2013年基準を新たに作り直すのか。いずれにしても、本筋の後処理策なら当時の生活保護利用者全員に追加給付が必要になるはずです。追加給付の総額は、相当大きな金額になるでしょう。1000億円を超えるような気がします。

 私は、自公政権が素直に謝罪するのかどうかも気になります。自民党支持者には生活保護利用者に厳しい感情を持っている人の比率が高いように思います。素直に謝罪すれば、自民党支持層から強烈な反発が出る可能性がある。そのあたりを政権幹部らがどう判断するのか、まったく分かりません。

 2013年の生活扶助基準改定の検討作業では、厚労省の暴走ぶりが酷かった。これについての綿密な検証作業は絶対に必要だと思います。第三者委員会のような外部人材による検証が望ましいでしょう。

 「生活扶助基準」の再考を

 最高裁で行政側敗訴となった後は「厚労省の生活扶助基準の決め方がそもそもおかしいのではないか」という議論が活発になる可能性もあります。2013年基準改定に関する裁判で大負けしている上、近年では物価高に見合うような基準引き上げがなされないことに生活保護利用者や支援者らの不満が高まっています。

 近年、厚労省は「一般低所得世帯の消費水準と比べて生活扶助基準を設定する」という考え方で基準改定案を検討しています。生活困窮者の支援活動で頑張っている人たちは、その考え方がどうにも納得できません。日本では、どれだけ生活が苦しくても「生活保護だけは利用したくない」という気持ちで生活保護の利用申請をしない人が多いです。こういった生活保護への忌避感情は、生活保護バッシングによって一層強化されてしまいました。

  「生活保護法」を「生活保障法」に

一般低所得者層の中に「健康で文化的な最低限度の生活」のラインより下の生活水準に甘んじている人が断然多い。このため、「一般低所得世帯の消費水準と比べて生活扶助基準を設定する」という考え方の基準改定を続けると、生活扶助基準がずるずると下がり続ける懸念が強いのです。忌避感情が根強いことを重視して、日本弁護士会は「生活保護法」を「生活保障法」に改称して生活保護制度の利用拡大を図る運動を展開しています。私も、忌避感情をどう抑えていくかが極めて重要な社会課題だと考えています。

  物価偽装は公務員による粉飾だ

 2025年4月10日の時点では「物価偽装・いのちのとりで裁判問題」が最終的に望ましい形で決着するかどうかは、この問題がマスコミ報道で大きく報道されるかどうかにかかっていると思います。私は、マスコミ各社の記者やフリーライターと話す機会が多いのですが、多くの記者らが「統計不正の話は難しくて分からない」と思い込んでいるのに閉口しています。これは完全な誤解です。少なくとも物価偽装のカラクリはそんなに難しくありません。

 私は12年間にわたって物価偽装問題と格闘しています。ずっと苦しみ続けているのが、裁判闘争の関係者の大半ですら、「難しくて分からない」と思い込んでいることです。また、世間の大多数の人は「重要な政策決定の際に重大な統計不正で証拠のデータが作られることなどありえない」と考えています。「お役人は悪いことをしない」といった性善説です。これも「単なる迷信」のようなものです。公文書改ざんなどモリカケ問題での財務省の行為をみれば一目瞭然でしょう。

「重要な政策の決定的証拠となった統計データが『重大な統計不正の産物』だった」というのが、2013年生活扶助基準改定の核心です。民間企業による粉飾決算や脱税については、監視・処罰の体制があります。「公務員による粉飾統計にも同様な監視・処罰の体制が必要だ」というのが、物価偽装問題で約4500日間格闘してきた私の結論です。 

  白井 康彦(しらい やすひこ)                               

1958年名古屋市中川区生まれのフリージャーナリスト。東海中学・高校から一橋大学商学部卒。84年に中日新聞社に入社。2018年に定年退職後、いのちのとりで裁判の支援活動やその関連の支援活動。趣味の将棋では1980年に全国大学生名人のタイトルを獲得。著書に「生活保護削減のための物価偽装を糾す!」(あけび書房)、「誰でもわかる『物価偽装』教室」(風媒社)。ユーチューブ白井康彦チャンネルでも、物価偽装問題の動画を発信中。


2024年2月19日 週刊金曜日に白井執筆の記事が掲載されました。
 生活保護減額をめぐる訴訟が国の「統計不正隠蔽」の実態暴く | 週刊金曜日オンライン

生活保護費大幅削減のための物価偽装を暴く(旧ホームページ)
http://hinkonkakeiken.com/
 2017年9月8日 いのちのとりで全国アクションサイト
  保護費引き下げのウラに物価偽装


2016年10月12日 「物価偽装による生活扶助基準改定」(冊子)







           

       <書籍>


2022年 『誰でもわかる「物価偽装」教室』
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2021年  私たちの生活保護(監修
2014年 『生活保護削減のための物価偽装を糾す』
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